サニティーチェック

関係のない話をしよう。

冨樫という男がいた。あるとき、彼の書いたプログラムが想定された挙動を示さず、そのコードをまた別の男がデバッグしていた。バグは確かに存在した。INFINITYという変数名を誤ってINSANITYと記述していた。狂気である。

しかし、関係がない。関係のある話もしよう。

冨樫という男がいた。あるとき、彼の書いたプログラムが想定された挙動を示さず、そのコードをまた別の男がデバッグしていた。バグは確かに存在したが、解消されるまで数時間を要した。そのあと、冨樫はこう言った。「まあ人間は顔が全てですからね」

なるほど。

驚くべきことに、これら二つの話はこの記事に全く関係がない。しかし、既にこの記事の一部となってしまっている。したがって、関係がないと言ってしまうのも語弊があるだろう。へえ。

人はどうやって正気を取り戻すか。これは、なにを正しい状態であるとするかに強く依存する。私の場合、どこに敷かれているのか。恐らく中高、そして大学生の状態を「正」としている。その頃は毎日友人と会話し、状態の振動はありつつも、概ね定常なものに保たれていた。これは、我々の環境が長らく同質的なものであったことに由来する。

今の生活では、そのような環境が存在しない。たとえば友人はいるが、彼らと会うのは予定としてであり、さらにコミュニケーションの質も昔とは異なる。これは、多くの社会人と呼ばれる存在にとっても程度の差こそあれ当てはまることではないだろうか。環境がなければ、正気に戻る方法は二つしかない。一つは自らを律することであり、もう一つは正気の定義を変えることである。一般人に自律を求めるのは要求が高すぎるので、自らを律することは不可能であるとしても一般性を失わない。

こうやって、ほとんど全ての人間は、生活様式の変遷に伴い、正気の定義を変えることを迫られる。躺平主義者のように強い自我がなければ、若者はやがて子供の頃に揶揄したこともあったであろう狂気の道に進んでいく。新しい正気はどうやって記述されるのだろうか。私はまだその答えを知らないが、勤勉な労働者諸兄の賢明なコメントを待ちたい。ちなみに、私はどうやって正気に戻ったものか思案中である。

ところで、また漫画を描いている。数十ページの読み切りにするつもりで、今は二十ページ分くらいのネームを描いた。このネームというのが曲者で、セリフと構図をおおよそ描くようなものなのだが、うまく手を抜くのが難しい。どうせだからと「見られる絵」を描いてしまい、これではペンを入れる直前の下書きと大差なく、数時間では何ページも進めようと思っても難しい。下書きを先にやっていると思えばいいのだろうが、一ページの作業負荷の高さは就労後の作業可能性を削ぐには十分である。頭の中に話はあるが、絵や構図はない。これを日中の思考で疲弊した頭で寝る前に絞り出すのは大変である。この記事を書きながら、日本語は母語だがイラストの類についてはネイティブではないということを痛感している。

とはいっても、模写や色塗りは簡単である。頭を使う必要がない。何も考えずに見たまま線を描き、色を塗り、影をつければいい。リアルにするだけなら、時間をかければかけるほど、見たままのものに近づいていく。目で見て、もしかしたら少し脳内で変換して得られた、頭の中の正解に手元のイラストを近づけていけばいい。ネームや漫画を描く作業は、正解も更新していかなければならず、GANの学習過程そのものである。普通は順番が逆なんだろうが。頭の中にボヤッとしたストーリーがある。コマを割ってセリフを書く。ストーリーから外れそうになったらセリフを修正する。より粒度の高い情報が必要になったらストーリーを修正する。そうやって頭の中のストーリーは完成していき、自分が描いているものがそれに適合するかの判定も厳しくなっていく。登場人物の性格が判明していき、最初の方の顔やセリフが気に入らなくなってくる。しかし何度もエポックは回せない。人生では定数倍が命取りである。

脳が疲れている。頭頂部の方で何かがサチっているような状態になり、論文を書く手が止まる。証明が回らなくなる。セリフが何も思い浮かばなくなる。一日は短いが、彼の労働時間ははるかに短い。彼が働くのをやめると、漫画すら読めなくなる。能動的なことは何もできない。囲碁エストで負け続けることを除いては。

受動的なものといえば、最近、ポッドキャストをよく聴いている。日中とりあえずなにか流している。人の話し声があった方がいい。大体二人組があーだこーだ喋っていて、少し作業に集中すると何の話だったかわからなくなる。だが、それでいい。往々にして彼らが衒学的であるのもいい。学科の控室で数学の本と睨めっこしていた頃、そして皆意味もなくボードゲームをしていた頃、あの頃私は正気だった。

それ、誉め言葉ね。

制作記録

とりあえずはじめて漫画を完成させたので、過程とか思ったこととかを記録しておく。作業は大体毎週末土曜日に数時間やっていた。4回くらいだと思う。執筆途中に上達したり描き方を変えたりしたが、1ページあたり10時間くらいだろうか。いま最初から描いたら倍速とはいかずとももう少し早く描ける気がする。

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原案。一ヶ月前くらい。なんか自分にとっては結局これが一番面白い。伝えるというのは大変な作業である。テンポが早すぎる・分かりにくいという感想が多かったので、2ページにすることを考える。

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ということで2ページでかぐや様の設定を使わせてもらうことにした。ところで、スケダンの篠原健太先生がラジオで喋っているのを聴いてなるほどとなったが、ギャグ漫画で一番大事なのは劇団であるという。劇団というのは、キャラクターたちとその関係性をまとめたもの、くらいのニュアンスだろうか。

ギャグは遍く内輪ネタである。読み手に想定されている常識があり、その常識をあえて外す、あるいはその常識を仲間うちで確認する、というのがコメディ的面白さの最も普遍的な形であると思う。この常識と非常識の橋渡しには単なる「異常」に加えて読み手の思い込みを覆すような「発見」あるいはあるあるネタに代表される逆向きの「共感」などがある。

何が言いたかったというと、ギャグ漫画は、あるいは物語は「内輪」をいかに構成できるかが重要である。特に、ギャグ漫画においてその共有が行われていないことは致命的になり、新規のキャラクターを登場させて短いギャグで面白くするのは難しい。なので、ここでかぐや様のキャラクターたちを拝借したのは描き手の負担を非常に軽減している。ただし、会話の掛け合いが原作に寄せられキャラクターの性格が前提とされている分、かぐや様を読んだことがなければ、原案のプレーン人間版の方が面白いということが推測できる。

偉そうに言っているが、漫画のネームを描いたのは(雑な4コマを除いて)初めてなので、コマ割りや視線誘導など学ぶべきことがいくらでもある。。今回も、2ページどちらにおいても三段目の展開が急になりすぎ、読者を置いてけぼりにしている感じがある。(ということを言われて、確かにとなりました。)

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右ページの下書き。このレイヤーを透過して上からペン入れしていく。

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トーンなども入れてひと段落。ダジャレの説明を追加。背景色(トーンの点密度)を全部同じにしたが、単調な感じになってしまった。背景を毎コマ描いている暇はないのでうまく誤魔化したいが…。

ということでヤングジャンプを読んで背景に目を配っていると、背景を全然描かないのに面白い作品として『スナックバス江』があった。同じモノクロ手抜き背景でもここまで違うのか。また最近はカラー版の漫画とかも増えてきており、電子版ヤングジャンプの巻末にかぐや様の過去の回のカラー版がくっついていたりする。そこを見て驚いたのは、コマごとに背景色がピンクであったり緑であったり灰色であったり、とにかく単調にならないようにしている。集中線や効果音、フォントの変更などとにかく飽きさせないためのポイントが大量にある。もちろん完全には真似できないが、背景をうまく「散らす」ことに注力したのが以下の最終版である。

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左ページに関しては、恐らく最も重要なコマは二段目左下の「イラッ」という小コマである。これがない最初の案では返品が非常に唐突になってしまい、何があったのかと読者を置いていってしまう。また、オチを地の文でというのは少々弱いが、テンポをおくために引きのコマを入れた。もちろんこれを見てからジャンプを読むとペンの入り具合とか全然違うわけだが、中身を邪魔しない程度の漫画っぽさにはなっていると思う。

さて、いくつかあった反応の中で想定外だったのは、「茶色いターバンを巻いたちっちゃいロイター板」が面白いというものだ。これは当然会長(右下のキャラ)がドヤ顔で言っているので人工的なだけでスベっているダジャレという扱い(そして会長がとばっちりを受けているという場面)なのだが、これが面白いということになってしまうとダジャレBOXを返品するのもおかしいし、「まともなダジャレはないのか?」というのも謎の負け惜しみになってしまう。。自分のダジャレに関する感性の問題であろうか。

(イラッ…)俺が面白いと思ってること、大抵ウケないんだよな。二度とギャグ漫画なんて描きたくない。まあ絵の話ではなく内容の話になっている時点で、一作目としては上出来でしょう。もうこれはシリアス系ストーリーでやっていくしかないな。

 

俺たちの漫画道は始まったばかりだ!

 

2021

ここ数日、アホみたいな生活リズムが定着しかかっていた。これではいけないと雀の涙ほどの陽光にすがって、ブラインドを上げて午前中に起きてみた。眠気にしたがって健全な時間に気を失うと、4時間くらいで目覚めてしまった。慣れたものである。

もう一度寝ようと目を瞑って体を左に向ける。右手の甲がひんやりとした無機質な壁に触れそうになる。寮のベッドは寝心地が悪い。根津にいた頃は完全だった。寝具ではなく街がそうだっただけかもしれない。

冴えないが目覚めてしまった頭が勝手に回る。そうか、と思う。2021年はもうすぐ終わる。この区切りが自分にとって重大なのかはよくわからないが、終わるんだな、という高揚感が湧き上がってくる。去りゆく年のはじめの方を思い出して、むしろまだ終わってなかったのか、と何故か安堵を覚える。あのロックダウンからまだ一年経っていない。

日本とイギリスでは年度始まりが違う。うちの大学では10月からである。このちょうど半年のずれは、西暦の境目とあいまって、年単位の時差ボケを引き起こす。コロナで引きこもりがちだったから、またイギリスでは太陽がサボっているから、時差ボケはまだあまり治っていない。刺激がないと治らないのである。日本に帰国してアパホテルに隔離されている間、生活リズムはずっとイギリス時間だった。スピードクライミングを観戦しながら寝落ちして、起きたらリードの終盤だった。

なんで留学なんかしたんだろうとずっと思っていた。理由は分かっている。今まで自分の決定には、あまり意思が介在していなかった。最適化問題を解くまえに、制約に疑問を持つ方がいい。でも見ない方が楽だからね。

8月と9月は日本にいた。これも時差ボケを助長させる。就職していったやつは酒と投資の話しかしない。そんなもんか、とまた一人俺が死ぬ。もう東京には居場所はない。早く俺もここで働きたい。

卓球部に入った。英語と数学以外でコミュニケーションがとれるのはいい。多分、学部の頃より真剣に練習している。ちゃんとイングランド中部二部リーグとかで毎週公式戦があるからかな。こういうのがこの歳になってまたやれるとは思ってなかった。首都大戦はあんまり行けなかったし。キャプテンを見てると、俺もシャキッとしないとなと思わされる。I'm not sure とか言ってないで。

研究はどうだろう。なんだかんだ渡航してから少しの間は結果が出る。去年みたいにこの結果を少しずつまとめるのだろうか。学部を卒業してから、誰も読まない論文をコンスタントに書いている。この勤勉さは必要か? 考えるのはもうだいぶ前にやめた。結局、自分が説得できればそれでいい。そこに論はないが、俺の中で答えは出ている。

時間がある。20代の残り時間は少ないのに、留学が終わるまでの時間はたんとある。数少ない新生活の恩恵は、新しいことを始めやすくしてくれたことである。人と会う機会が減って、自分を見つめる時間が増えた。この国にいるとどうせ何もできないので、何かしようということになってくる。かつてTwitterとアニメで単調に終わっていたおうち時間は、今や挑戦の場である。これは多分、進路を白紙に戻したからだと思う。やりたいことを見つけるのは難しいが、思いついたことを全部やればいい。得意なことばかりして生きてきた人間には、また新鮮な時間である。

とは言っても、秋からは人と関わることも増えた。1年目にまともに人と会い始めたのは5月末からで、一番仲良くなった人も日本に帰ってしまった。イギリスの修士は1年で関わりのある層としてはそこがボリュームゾーンなので、そもそも入れ替わりが激しい。その中でもロックダウンのあった去年度は難しい年だった。それに比べて、今年度は院生の集まりだったりポスドクの人達が主催している集まりだったり年度始めから色々ある。

12月、ターム期間が過ぎてからも、数学科や卓球部の人々とのイベントもあれば、日本人たちとの集まりもあった。クリスマスパーティーとかいくつかは柄にもなく主催したので、反動で引きこもることに幸せを感じたりもする。日本人というだけの集まりには大学の時みたいに気が合う人を見つけるのは難しい。ホモソーシャルのぬるま湯が恋しいが、この全然バックグラウンドの違う人たちが入り混じるカオスもまた得難い経験かもしれない。一つ学んだのは、ひねくれた人間は愛がないと許せないということである。気をつけなければ。

明日も日本人の家で紅白を見る。JSTVってのに契約してる人がいて、リアルタイムと別で再放送をヨーロッパ時間に合わせてやってくれるらしい。日本にはなかなか帰れないが、こっちでの年越しも悪くない。やっぱり去年が異常だったのだ。つい去年と言ってしまうが、今年の前半である。

長い一年だった。本当に。

この一年を乗り越えられてよかった。本当に。


それではみなさん、よいお年を。

1年目

飛行機の中である。さっきまで浅野いにおの『デデデデ』を読んでいた。途中、なんだか涙が止まらなかった。

ここ何十時間かわからないがずっと色んな椅子で寝たり起きたりを繰り返して今はあまり眠くない。やっぱり旅の最後は感想文を書くと相場が決まっている。

パソコンを取り出すのが億劫なのでiPadのメモアプリを開くと、2019年4月のウクライナでの日記と、去年2月のオーストラリア旅行の麻雀の勝ち負けの記録だけがあった。海外に行った時しかこういう機能は使わないらしい。そうだ、あれが私にとって最後のオンサイトの国際イベントだった。再びスタッフとして参加する予定だった翌年の大会からは、世の中はずっとオンラインである。オーストラリア旅行はまだ記憶に新しい。高校同期の卒業旅行だったが、院試のオンライン面接が入って急遽日程をずらして後から参加した。出る時にはあまり大事ではなかったが、旅行先で段々とダイヤモンドプリンセス号のニュースが取り沙汰され、帰国した頃には既に空港が異様な雰囲気に包まれていた。あれから1年半、世界は変わってしまったままである。

そういう意味で、久しぶりの帰国である。B2くらいからはなんだかんだ毎年海外に行っていたから、かなりブランクを感じる。帰国ブランクが祟って一本乗り損ねたのかもしれない。

同じ時間を過ごしてもその体感は歳を重ねるごとに短くなっていくというが、この一年は大学に入ってからでも指折りの長さだったように思う。まあ初めての経験ばかりだったという話で、そして一番苦しい一年だった。留学2割、コロナ8割くらいだろうか。

秋に渡航してから、2020年の間は非常に順調だったように思う。あるいは熱に浮かされていたとも言える。特に11月ロックダウンが再開してからはずっと数学のことを考えていて、かなり早い段階で面白い結果が次々と得られた。12月にはそれと並行して絵の練習も初めて、生産性という意味では今考えると信じられない勢いであった。そして案の定、1月に精神が壊れる。

メンタルの不調という点で言うと、デフォルトで鬱々としているのを責めないことにすれば、大きく沈んで一週間単位で何も手につかなくなったのは1月、3月、5月の3回である。パターンとしては非常にわかりやすく、1月と3月は連日深夜まで論文を書き続けて終わった少し後にダメになり、5月は数日間ずっと考えていた問題が解けた直後である。こうして書くと燃え尽きっぽいが、どれもその成果に対するフィードバックへの深い失望から来るものだったと思う。別に教員に限らないだろうが、成果物へのフィードバックというのは一言「いいね!」と言った後で修正の方向性などが長々と返ってくる。科学の基本はクリティカル・シンキングである。ロックダウン下で絞り出した成果があっさりと流されていくように思えるのはやり場のない苦しさがある。

世の中そんなもんである。現場で働く人間を労う上司、あるいは仲の良い友達同士であっても、褒め言葉なんてものは滅多にないしあっても抽象的である。ディティールに対してここが良いね!と言って回るのは重要だが難しい。比して、具体的な指摘をするのは簡単であるがされて気持ちの良いものではない。そういう構造的な上司への鬱憤は同期や部下同士の軽口で解消され、会社は不健全ながらも回っていく。そういうセーフティネットはコロナによって失われ、溜め込んでしまう人は増えているだろう。

一般化する必要もなく、私が単に承認が足りない生活を過ごしていたということだ。状況は少しずつであるが改善している。一番新しい原稿を書き上げた後は別に長い燃え尽きはなかったし、やっぱりフラットメイトの勧め通りオフィスに毎日行き始めたのが良かったのだろう。単に日常会話が増えるだけで良い。たまには教員とホワイトボードを囲んで議論できれば良い。そして、体は動かした方が良い。

精神の浮き沈みが激しかった今年序盤であるが、1月と3月大体半分以上手が止まっていたように思う。ドラマを見て、アニメを見て、小説を読み、ラノベを読み、時々消費に飽きて文章を書く。感染爆発に悲壮感漂うイギリスの年初はそんな感じだった。絵を描くのは結構エネルギーがいるので、毎日やっていたのが途切れてからはむしろ忌避していた。最近またふとやる気になったりするので、良い傾向である。

5月末あたりからは毎日オフィスに行くようになった。これは非常に精神に良く作用したのだが、また別種の寂しさが加速された。平日オフィスから帰ってくると、もう日本人は寝ている。たまにdiscordを眺めても、そんな時間に起きているのはパソコンをカタカタしている謎の集団くらいである。もちろん、現地での交流もあるにはあるが、ご時世からしてそんな毎日外で飲み会みたいな雰囲気ではない。出鼻を挫かれて友達作りに失敗したことは素直に認めよう。オフィスに行き始めてから、あるいはワクチンによる第一谷のあたりからは交流が増えていったので、年度末に近くすぐに人が散り散りになってしまったことを考えれば、次の秋からはもう少し楽しく過ごせるかもしれない。

ノリで留学を決めた頃には全く覚悟できていなかった暴れ方をしたのでこの一年というと自分の精神状態ばかり思い浮かぶが、もう少し留学記っぽいことも書くべきだろう。そういえば奨学金向けにも文章を書かないといけないんだった。こんな内向的な文章しか出てこないようではよろしくない。重複を恐れずに、もう少しそれっぽく書いてみる。

入居初日のことはよく覚えている。イギリスは、あるいは少なくともオックスフォードは、実際には言われているほど天気が悪いわけではなく、雨の時も傘をさす必要のない霧雨が主流である。しかし、私が来たばかりの10月頭は非常に天気が悪く連日土砂降りであり、イギリスの天気が悪いというのはこういうことなのか勘違いして困り果てていた覚えがある。

私は当初の希望が外れ、カレッジから歩いて20分くらいの距離のオフサイトの寮に住むことになっていた。入居当日、カレッジで鍵を含め諸々の書類を受け取ったあと、土砂降りだったのでタクシーを呼んでもらって寮に着いたのだが、タクシーが去った後、寮の門が私の学生証では開かないということに気付いた。多分正確にはどうやって開けるのかもわからず、学生証を使ったら開きそうだけど何を試してもダメだという感じで途方に暮れていたと思う。カレッジに連絡するために、一応買っておいたプリペイドSIMの電話を試してみたがどういうわけか電話がかからず、結局たまたま通りかかった隣の建物の人が学生証でゲートを開けてくれた。どうやら私の学生証がまだアクティベートされていなかったようである。この時点で既に全てがびしょ濡れで大変先が思いやられていた。

さて、入れたはいいが、なんとかしてカレッジに連絡してシステムを更新してもらわないと家から出れても帰ってくることができない。メールも送ってみたが暫く反応がないので、結局雨の中カレッジまで行くことにした。今度は身軽なので折り畳みをさしてカレッジまで歩いたが、傘は特に何の役割も果たさず、初めて歩く道をGoogleに尋ねながら既にこの時点で半泣きであった。カレッジに着くと「雨の中歩いてきたのか!寮のインターホンのとこからカレッジに直接通話繋がってそっから遠隔でゲート開けれるのに!」みたいな反応をされた。いや、知らんが…。そんな面倒な仕様にする前にアクティベートを済ませてから配布してくれ。処理が終わるまで、日本人が物珍しいということで、ブラジル出身のスタッフが延々と「オマエハモウシンデイル」とか日本アニメのセリフをずっと並べ立てていた。意味は分かっていないと言っていた気がする。というのが初日であった。

10月の間はロックダウンもなく6人までなら食事などにも行けて、何回かカレッジや奨学金のグループで集まった。IELTS対策を経て学部時代よりは英語力は向上していたが、やはりネイティブ同士がパブで喋っているのは本当に聞き取れなかった。別に今でも全て聞き取れる訳ではないが、この頃は私が話を振られたタイミング以外は会話に何もついていけず、毎回居た堪れなくなっていた。その意味で、コロナに出鼻を挫かれたとはいえ、他の学生と、特にネイティブと仲良くなる程会話ができる素地がそもそも最初の月にはなかったように思う。それでも、寮で同じ階に住んでキッチンをシェアしている人達とは必然的に話す機会が増え、半強制的に仲良くなることができた。一対一で喋る場を何回も作れれば、拙い英語でも慣れてもらえるものである。

やっと留学生活に慣れ初めていた頃に、コロナの状況が悪化して11月頭にロックダウンになった。おそらくこのタイミングの規制強化はロックダウンとは呼ばれていないが、原則家を出るな、外食は持ち帰りのみということになり、要はロックダウンである。勘弁してもらいたいものである。この時点でフラットメイト(寮の同じ階の人たち)以外とは関わりが実質的に絶たれ、まあ研究しかやることがなくなる。11月は本当に数学に没頭しており、毎週新しい定理を証明していた。忘れかけていたがこの頃TAもやり、学生の筆記体を解読したりオンラインで画面共有して問題解説したりもしていた。TA自体は嫌いではない。特に研究が煮詰まってネットサーフィンに終始している時期であれば、こういう教育活動に救われる面があると思う。

色々忘れているがカレンダーを見るといくつか思い出してきた。12月にはbroadeningというので専門外の分野の修士向け授業に関連して発展的なレポートを書くというのを二つやった。片方は分数階ソボレフ空間とか軽いものを書いたが、もう一つはリー群・リー環について(完全に代数的な)Adoの定理を認めた上でリーの第三定理などをほぼself-containedにまとめるものを書いて、これは結構大変だった。一週間くらいかかった気がする。

この時期に別で突然やらされていたこととして2月の国際学会のオーガナイザーがあり、役目を押し付けられた学生3人で何回かミーティングをしていた。リモートで何回も英語を聞き直しまくってこれもまた居心地が悪かった。出来るだけコミュニケーションの必要ないホームページ作りやパンフレット作成を引き受けた。まあどう立ち振る舞うべきか難しいところである。

12月も中頃になるとイギリス人はみんな実家に帰り、寮に帰省失敗したギリシャ人と2人でいる期間が数週間あったと思う。もう少し仲良くすればよかったのだが、私はクリスマスで休みをとった彼女が連日部屋で歌っているのにイライラしていた。まあ人によるだろうが私は人が歌ってるのが延々と聞こえてくるのは苦手である。それが理由でこの頃にノイキャンの付いたAirPods Proを購入したのだったと思う。別に揉めた訳ではないが、夏に彼女が寮を引き払う際には欧米式のハグで別れを惜しんだし、和解済みである(?)

それにしてもクリスマスはヨーロッパではあまりにも重大なイベントであるようである。イギリス政府はクリスマスは仕方ないということで規制を全国的に緩和し、その後の年始の感染爆発に奇麗にバトンを繋いだ。彼らはみな帰省し、寮に残っていたのはアジア人が大勢を占めていたと思う。

1月から3月にかけては、あまり語ることがない。帰省したイギリス人たちはなかなか戻ってこなかった。確かresearch student以外はオックスフォードに戻るなみたいなお達しが出ていたように思う。感染者数は鰻登りで一瞬解禁された外食もまた禁止され、それはもう大変な悲壮感だった。この頃、公園でソーシャルディスタンスを保ちながら少数の日本人と何回か会っていたかもしれない。年変わる前かも。

さて2月はまたTAやら学会発表やらで忙しくしていて、研究成果もさらに発展しつつあったのでよかったが、最初の方に書いたように、3月に頑張りすぎてダメになるタイミングが訪れる。ここが一番長く、かなり手が止まって呆けていた時期だったように思う。仕方がないから読書やら何やらしていたら、暗い本ばっかり読んでさらにダメになったりもしていた。Lost in Mathは読むタイミング間違えたかなあ。次の研究のアイディアは比較的早い段階からあったのだがなかなか手が動かず、指導教員の謎のこだわりに振り回されたりして(後からこの路線に固執しすぎたすまんみたいなことを言われた)小ネタはどんどん増えていくが執筆がいよいよ億劫になってきていた。そして5月に決定的に沈んでゆくのである。言うまでもないがここまでずっとロックダウンである。

このタイミングでデータサイエンティスト達に電話で人生相談したり指導教員にポエムを送りつけたり色々模索していたが、戻ってきていたイギリス人のフラットメイトにオフィスに行くことを示唆され、ここから人生が動き始める。7月にはみんな学期終わりでいなくなったりしていて、実質的にはまともな留学生活が遅れたのは前年10月と6月だけだった。10月に比べれば英語への憎しみはともかく抵抗はある程度薄れていて、スウェーデン人の先輩と毎日のようにランチをしていたし、めっちゃ心配性なインド人の女の子も時々参加して心配エピソードを色々聞いていた。オフィスに来ていたのはそんな大勢ではなかったが、6月は非常に充実していた。ロックダウン緩和に伴う初めての日本人会の大規模イベントもあったりと一気に知り合いが増えたし、かなり仲良くなった人もいる。ここからはなかなか楽しかったと思う。7月にみんな寮からいなくなって滞在を後悔したりもしたが、論文もまた仕上がったし順調である。まあアカデミアに残るかはともかく、博士はやり切れそうだという心持ちである。

こう書いてみるとまともに留学生活をエンジョイできていたのは6月だけだったんだなという驚きである。まあずっとコロナだったし仕方ない。来年は勘弁してくれ〜

時系列で書くと緩やかな変化なのであまり現れてこなかったが、この国の日照時間は特筆すべきである。オックスフォードの緯度は北緯51度である。中学受験知識としてイタリアのかかとと秋田の男鹿半島が北緯40度なので、ヨーロッパは全体として直感よりも(?)高いところにある。この結果、冬はもう15時半とかにあたりが真っ暗だし、夏はサマータイムもあって夜10時近くでもまだ明るい。イギリスの冬、ロックダウン、みんな帰省して閑散とした寮、これは鬱病の繁殖しやすい環境である。逆に、夏はいつまでも明るくてそれでいて暑すぎず快適である。毎年一週間くらいだけ30℃を超えるみたいだが、それを除けば素晴らしい。その週は、この国に冷房があまりないのもあり、特にオフィスでは日照りも良くて死にかけていた。

さあつらつらと書いてきたがそろそろ眠くなってきた。まだフライトが3時間残っているので、再びの仮眠にでも挑戦してみようか。フライトを逃したバタバタで精神が侵されていたが、振り返ると尻上がりな感じで未来に希望の持てるアカデミックイヤーの締まり方である。この夏日本をエンジョイして、そしてまた去年とは違ったイギリスに戻ってこられることを祈るばかりである。

夏休み

なんかやっていた研究がひと段落したので、夏休みという気分になった。休みといっても、来月学会にふたつ出るし、帰省だとか自主隔離だとか、まあコロナもあるのでそんな休み感があるかはよく分からない。それでも、博士を始めてから能動的に休む時間が増えたので、夏の間に一ヶ月くらいは何かをする時間は取れるだろう。

何か、ねえ。夏休みって何をしていたんだっけ?

修士の頃は、なんだかんだ、忙しくしていた気がする。M2の夏は、あまり思い出したくないがかなりドタバタだった。M1の夏は、初めて学会に、それも3つも参加した。合間で新しいトピックも勉強していたし、カフェの店員さんと仲良くなった。学部の頃から同じスケジュールアプリを使っているが、今見ると学部生の頃は旅行、サークルの合宿、夏季セミ、他にも飲み会やらなんやら色々している。人間的な活動をしている。そういえば、なんかそういうのをこっちでは social というらしい。Friday social とか Grad social とか、めっちゃ使う。多分 social events の省略とかなんだと思うけど。なので social distance を社会的距離って堅苦しく訳すのは多分ニュアンスが違うんだろう。

話を戻すと、私にとって夏というのはなんか3日〜1週間くらいのイベントが散発的にいくつか入っていて、合間にある3日くらいずつの何もない日をダラダラ過ごしていたら通り過ぎていく、そういうものだった。もちろん、もう働いてる人から見ると「何を夏休みなんて寝ぼけたことを言ってるんだ」と思われるのかもしれないが、こういう時は学生であることを主張させてもらおう。日和見主義者の特権である。

それにしても問題である。夏休みなのに、イベントがない。何をすればいいんだろうか。日本の大学生たちは夏休み何をするんだろうか。結局、サークルの合宿とかそういうものは帰って来ないんだろうか。

非日常が与えられずただ休みだけが与えられると困ってしまう。平坦さから逃れるように、思考はメタに逃げ上がる。そうやって何回か押し上げられると、急転直下の袋小路である。

こうやってふと旧友を訪れるようなことが増えていくのだろうか。これは2021年に限った話ではないのかもしれない。それでも、狭い意味での夏休みはあと何回もないんだから、まとまった時間がなきゃ出来ないようなこと、探しておかないとな。

平凡

この前の土曜日はこちらへ来てから初めての日本人会の in-person event があった。日本語だとどういう表現が自然だろうか。授業だと対面という用語が一般的だろう。そもそもオンラインが前提の世界ではなかったので、私の語彙はそこで止まっている。

日本人会といっても、全員が日本人というわけではない。ハーフも沢山いるし、日本に興味があるだけの外国人もいる。ことあの集団において日本人・外国人という二項対立は特に意味をなさないので、あまり褒められた表現ではないような気もするが。特筆すべきはその海外経験率である。現在の身分が始まる前に一年未満しか海外生活をしていないという人は殆ど存在しない。確か一人だけ博士以前の海外経験がないという人に会ったことがあるが、それ以外の数十人は少なくとも一年は留学経験が先にあるように思う。学部生に限って言えば、海外(ここでは日本の外という意味だが)で人生の大半を過ごしている人が大半であるように思う。もちろんこの見積もりはそのうち修正されるだろう。

下書きを寝かせている間にもう少し細かい数字をたまたま聞いた。日本の血が入っている人は学部生で一学年10人くらい、完全に日本生まれ日本育ちは3人くらいということらしい。後者は典型的には高校以前からイギリスにいる。つまり日本人はマイノリティであるし、オックスフォードが海外生活一年目という自分もまたその中で少数派である。

少数派であるというのは思ったよりも大変である。一つ例を挙げると同じ側に端的に不快な言動を繰り返す人間がいたとしても、少数派の定義からして取れる選択肢は少ない。少々の嫌悪とは付き合っていくことにする、少数派を脱却することを目指す、あるいは群れることをやめるというのがパッと出てくる道だろうか。こういったことを延々と論じたい訳ではないのでこの辺りにしておくが、マイノリティとして生活するとチクチクと不便さが露見してくるものだなあという小学生並みの感想である。学科の控室で楽しく過ごしている頃にはうまく咀嚼できなかった類の言説であり、現象である。

さて、『平凡』とは角田光代の短編集である。日本人会のイベントで仲良くなった人がこっちに持って来ているということで貸してくれた。新潮文庫の昔ながらのフォントで古さを感じながら読んでいたら途中で「ツイッター」なんて単語が出てきて面食らってしまった。2014年の作品で、文庫版に関して言えば令和に入ってからの発行であった。六つの短編は、いずれも「もし」の話である。選ばなかった、選べなかった未来がふと顔を出した時、我々の心は揺れる。だからといって何かができる訳でもないのに、繰り返し後悔する、あるいは別にそこに正負はなく、ただ思いを馳せる。そういう人達が設定を変えて描かれている作品である。

短編たちのうち、作品として好きだったのは『こともなし』と『どこかべつのところで』であるが、記憶に残ったのは表題作の『平凡』に登場する、呪いそして願いとしての「平凡」である。自分と関わって、憎悪を以って縁が切れた人間に対して願う平凡さ。平凡こそが不幸である。いや実はそうではなく、本当は不幸にならなくても良いから、平凡な人生を送ってくれと願う。憎悪のような強い感情は数日で消えてしまうものだが、例えば半年に一回 SNS で見かければ、平凡であれと願う。これは愛と対極にある感情なのだろうか。

されど平凡は美徳である。自らに対して願うものもまた平凡である。これは非凡であるという自意識の上に成立しているものなのだろうか。説明のしやすい特殊性と、ど平凡な思想である。しかし思い返すと、私が何か深く落ち込んでそこに言語化を試みるとき「個への意識が強過ぎる」という旨を、決してポジティブにではなく言われることが何度かあった。自分が何を為すかが問題にならない人間などいるのだろうか。いるのだろう。しかし私はそういう感覚が強いのだろうと思う。何かそこには一貫した信念があって、ある種の美的な軌跡を以って人生は歩まれるべきなのではないか。これは私の幸福な虚無主義に亀裂が走った時のみにひょっこりと顔を出す、それゆえ見直されてこなかった、少年漫画的な精神性である。数学者が形式主義プラトニズムを日和見に使い分けるのと似たような、しかしそれよりもずっと個人的な幼さである。

もっと先に何かがあって、それとも何もなくて、ずっと先を駆け抜けているように見えるのは実は幻で、彼らは前からずっと立ち止まっていて、そして私は流されていることに気付いていない。私は彼らの顔を見ることができない。立ち止まって水面を見ても、自分の顔はうまく見えない。

あー、美味いラーメンが食べたい。普通に。

通過

オックスフォードからロンドンへの往復には電車とバスがありうるが、少々時間がかかるが直通で安いということで移動には Oxford Tube というバスを利用した。片道一時間半というのが時刻表の示す値だったが、往路には二時間かかった。復路がどうだったかは覚えていない。なぜ時間の話をしたのかというと、この時間を見越して iPad に小説をダウンロードしていったからである。

友人との会話の中で円城塔でも読んでみようかという気になったが、物理学者だという著者の略歴を見る中彼が早逝した伊藤計畫と交流が深くその遺稿を作品として引き継ぎ完成させていたことを知り、そういえば教養時代のクラスメイトにやたら早口で伊藤計畫について語る奴がいたなと怪訝な顔になり、結局その頃に映画化で話題だった『虐殺器官』を読んでみることにした。そもそも読書家でもないが、こと SF ということになると読んだ経験は殆どない。多分誰かに影響されて『アンドロイドは電気羊の夢を見ない』を駒場時代に買ったのは覚えているが、それくらいだ。そういえば結局スター・ウォーズも見てないな。

バスの往復で(往路は酔いと戦いながらだが)ゆっくりと『虐殺器官』の前半を読んだ。出だしこそグロさはあったが、タイトルから勝手に想像していた(あるいは映画化の頃に敬遠していた)ような過激さはなく、むしろ繊細で内省的な主人公には興味と共感を覚えた。しかし、翌日最後まで読み進めた時には、前日に私が抱いた高揚感はなく、結末も非常にありふれたものに思えてしまった。冗漫な物語を摂取することに慣れてしまった私にとって、物語の起承転結が 400 ページ程度で済んでしまうというのは物足りないということだろうか。自分はもっとダラダラしたのが好きなんだなと、そんな風に結論付けた。

さらに翌日、つまり月曜日であるが、イギリスはバンクホリデーと呼ばれる祝日である。この国には日本の半分しか祝日がないのだが、まあ毎日が祝日みたいな生活をしていると言えなくもないので文句は言わないでおこう。『虐殺器官』と世界観を共有する『ハーモニー』を読むかあるいはその映画を見るか考えていたのだがあまり気が乗らなかったので、円城塔に手を出してみることにした。

読んだのは単行本『これはペンです』である。この本は表題作と『良い夜を持っている』の二つの中編からなるのだが、なかなか二つの作品の趣は違って見えた。『これはペンです』は最高のエンターテイメントである。私は終始ニヤニヤしながら読んでいた。ある友人に言わせればこれは「我々」であり、別の友人が使うであろう言葉を前もって拝借するならば「きらら系」と言える。科学的な記述には(少々冗長に思えるくらい)丁寧な説明があり脱線することもままあるのだが、それはご愛嬌だろう。難解を謳われる円城塔の作品の中でも読みやすいことで評判なようだ。

そんな愛の溢れた『これはペンです』であるが、落選した芥川賞の講評(円城塔(えんじょう とう)-芥川賞受賞作家|芥川賞のすべて・のようなもの)を見てみると面白い。(別で歴代の受賞作に対する石原慎太郎のコメントだけ眺めてみるのも面白い。)私は芥川賞の基準を知らないので何とも言えないが、ふわふわとした意見を述べるならばこの賞にしては過度なエンターテイメントであるように思える。胸をかき混ぜてくることはなく、終始安心と微笑を与えてくれる。純文学の殿堂かと言われれば…いや、私は日本の文学について特に知らないな。これからは直近の芥川賞直木賞作品くらいは読もうかな、とそんな気にさせてくれる。自分の言葉数には時々嫌気が差してしまうな。面白かった。笑わせてもらった。

転じて『良い夜を持っている』であるが、『これはペンです』の意外性のない平坦な安心感とは対照的な、一気に駆け抜けていくような表現を持っていた。小説としてではなく、ということであればラマチャンドランの『脳の中の幽霊』を少し読んだことがあるが、物語としての、いや指向性のある《物語》とは少し異なるのだが、没入と高揚を与えてくれた。私は前半より遥かにこちらの方が好きであると思うと同時に、大きな印象としての「訳分からなさ」を拭いきれなかった。訳分からないから面白い。これは別に逆張りではないと思う。

一応は「訳分からない」という表現を選んでいるが、この難解さは決して理解が及ばないとか意味不明すぎて読み進められないといったものではないように思う。細部の組み立ては、それぞれのパーツはすんなりと入ってくる。しかし気がつくと辺鄙なところを迷い歩いている。私はどっちから来たのだろうか。そういう時、現代文の試験なら何度も前に振り返って読み直すのだが、小説を小説として愉しむとき私はそのまま進む。だってそうだろう。普段の会話だってそうだ。この文章だってそうだ。文字の羅列にはその流れがある。もちろん我々はその向きからは解放された高次の存在であるとも言えるが、私は自然派なのでね。

一冊の小説を読むのに、漫画を読むのに、私の数倍、下手したら十倍の時間を懸ける人達を知っている。なかなかどうしてそういう人は思慮深い。これは単なる認知バイアスで、私がその生態に興味を持っているという前提条件があるというだけなのかもしれないが。そういう劇的な違いを目の当たりにすると怖くなる。私は表層をなぞることばかり覚えてしまっている。私にとって、メディアとは、私の経験の櫛を通り過ぎていく流れである。そこには明確な指向性があり、一期一会である。気に入った作品を何度も見るということも殆どない。本がつまらなくて読むのをやめてしまうということも殆どない。

波に逆らえなくて流れるように嘘をついてしまった。アニメ作品に限って言えば気に入った作品を何度も見るということは殆どないかもしれないが、祖母の家に行けば『修羅の門』を読むし実家に帰れば『黒子のバスケ』を読み返す。小学校の頃は『ハリー・ポッター』を十周くらいしただろう。五周目くらいで漸く気付いた伏線もあった。四巻の末のダンブルドアの表情の描写である。これは映像媒体特有の、自分でスピードを制御できないものへの態度であるかもしれない。本がつまらなくて読むのをやめたことも幾らかはある。『デイビッド・コパフィールド』は長すぎて二分冊目くらいで投げたし、『吉里吉里人』もそうかもしれない。チャーチルの自伝なんてものの数十ページで読むのをやめた。確かホワイトヘッド哲学書は一ページ目で断念した。漉し取れないことも当然あるのだ。

しかしある程度何か糸くずが絡まってくれるならそれ以上全てを堰き止めてまで吸収しようということにはならない。結局のところ時間とのトレードオフで、それが楽しみ方であり忍耐であるということか。その点映画はいい。快適な椅子にどしりと構えて何かが琴線に触れるのを待てばいい。ジャズか何かをやっている先輩が「音楽って、人によってどの音を聞いているのかまるで違って面白いんだ」と言っていた。交流は櫛の形を変えるだろう。

読んだ作品に限って言えば、伊藤計畫よりも円城塔の方が私の好みである。前者に感じた失速は、物語への誠実さによるものだと今では思っている。『虐殺器官』は物語である。始まりがあり、歴史があり、主人公は変わり、そして世界も変わる。『これはペンです』は物語だろうか? 日常系を物語と呼ぶなら、きっとそうだろう。昔小説家入門サイトみたいなものをチラリと見ると「小説とは、主人公が他の人物との交流を通して成長する物語である」というような定義がなされていた。小説だったか物語だったかはここではあまり重要ではなく、要は《変化》が主題であるかどうかを私は引き合いに出しているということだ。

虐殺器官』はどこまでも誠実に主人公の変化を扱っている。如何に世界観をこねくり回して主人公が哲学者で、そしてそれが私の好みでも、展開は王道であり、そしてそれゆえ陳腐になってしまうことは避けられない。円城塔は作品を終わらせていない。あるいは終わらせなくても作品は成立するということを主張しているのだろうか。むしろもっと、小説という形式を弄んでニヤニヤとしているような、そんな《我々》を感じる。そして、私はそこに清々しさを感じるのである。終わらせなければ、失速もしない。陳腐にもならない。これは、臆病な私にとっての《切実な問題をはらんで》いるかもしれない。私が「ダラダラとしたのが好き」であるというのはしたがって少なくとも正解ではなかったのだが、あながち的を外してもいないように思える。

もしあなたがどこかで同じ道を歩いたなら、何が聞こえたのか教えてくれないだろうか。