Let it be

先週 arXiv に上げた原稿の執筆を頑張り過ぎたせいか分からないが、このところかなりうつ傾向がある。 特に論文を書いたり数学書を読んだりしようとすると胸が苦しくなって何も手につかない。 失恋直後の苦しさに似ている。 月曜日の夕方に訳もわからず涙が溢れてきた後、あまり自分を追い込まない方が良さそうだと思い、研究をしばらく休む旨のメールを書いた。 今週、悪化はしなかったものの改善もしていない。 さっき、明日のミーティングもなしにしてくれと頼んだ。 先生は快諾してくれた。 博士で精神を病む学生は沢山いるだろうし、彼らも慣れているだろう。 この文章を書いている今も、チクチクとした痛みがする。

自分のためにも、整理しておくべきだろうか。 将来への大きな不安はない。 十分量成果は出ているだろうし、評価も受けている。 しかし今は、研究のことを考えると疲労感が襲ってくる。 ここのところ少しリジェクトが続いて嫌気が差していたのは確かだ。 その上で本来怠惰な自分を殺して少し頑張り過ぎたのかもしれない。 いろんな研究スタイルがあっていいじゃないか、と自分に言い聞かせる。 修士の時それでもうまくいっていたのだから、別に2週間頭を使ってその後1ヶ月ずっとビッグバンセオリーを見る生活をしたっていい。 奨学金を貰い始めたから、博士だから、オックスフォードだから? お前はどんな環境でも舐め腐って生きてきたじゃないか。 何を今更、勤勉でないことに後ろめたさを感じる必要がある?

オンラインのコミュニケーションには辟易としている。 人の出す空気に乗る時間的・空間的ノイズは、自分の表情も感性も蝕んでいく。 仲の良い友人とする、下らない日本語の掛け合いを愛している。 それとは真逆の位置にあるのが、画面越しの、あるいは異国の言葉での、そして会ったことのない人間とのやり取りである。 ただ無味乾燥とした事実の受け渡しをするだけなら、それは数学と変わらない。 研究の息抜きになるはずの時間を過ごした後、自分はより息苦しくなっていることに気付く。

自業自得だと、そう思っている。 コロナが収まらず、鬱屈とした日々を室内で過ごすことは想像できただろう。 日本から出るからだ、嫌いな癖に海外で博士を取ろうなんて思うからだ。 ざまあみろと思っている自分がどこかにいる。 何かかっこいい横文字たちに引っ張られ、冷静な判断が出来なかった。 東京五輪を笑う自分は酷く滑稽である。

少し休んで、様子を見てみようと思う。 気の向くままに日々を過ごして、まだダメだったら正直にそう言おう。 幸い、成果や時間に余裕はある。 それに、もし博士が取れなくてもいいじゃないか。 何も、人生が終わるわけではないのだから。

追記

ぷりんと楽譜に登録して、新しい曲を練習し始めました! 本当はもう少しお洒落になるはずなので、また気が向いた時に頑張ります!