二日酔いである。イギリス人と酒を飲むときは気をつけろという兄の教えをすっかり忘れていた。次からは NO を言えるようにしよう。

頭が痛いとものがうまく考えられない。今人に何か言われてもうまく反論できないだろう。その代わり私は高慢から解放されて、こうやってゆっくりとした文章を書くことになる。

私の中には波がある。その波は一次元的なものではなく、全く数学が色褪せてしまった一方で知識欲に燃えることもあるし、やりたいことが多過ぎて一日の少なさを嘆くこともある。全ていっぺんにやる気がなくなり、ベッドに横たわってアニメを見ることすら億劫に感じることもある。程度の差はあれ、あなただってそうだろう。

例えば昨日までは熱に浮かされていた。ドストエフスキーを読み、圧倒され、何か自分も生み出したいと思い、誰にも頼まれていない長文を書いた。読みにくい、嫌味ったらしい文章であり、同じくらいの長さの『エッセイ』をちらりと眺めると文体が素直で一文も短く驚いた。文豪を真似して仰々しい文章を書いて悦に入っていた、と見ることもできるし、ただ書いていた時の波の高さが、色が違ったんだと思うこともできる。

やさしい文章を書きたくなることもあるし、長ったらしい言い回しを使いたくなることもあるだろう。今は、ひねくれた文章を少し想像しただけでも頭にひびく。勘弁してもらいたいものだ。

研究だってそうだと書こうとしたのだが、もう完全に思考が止まってしまった。睡眠の波が来たらしい。

波が低いなら、岸を下げることだ。これはそういう試みである。