登山

今シーズンで一番好きなアニメは何といっても、さよなら私のクラマー。原作は『四月は君の嘘』と同じ新川直司で、今回の舞台は女子サッカー。原作はもう終わっちゃったみたいだけど、君嘘と同じで2クールとかで最後までやるんだろうか。主人公は中学まで男子と一緒に練習してたけど試合には出られなくて、そして高校に入学して女子サッカー部に入るところから物語が始まる。他にも凄い一年生に恵まれて、別に主人公がいきなり無双する訳でもないんだけど、時々ノった時に誰も寄せ付けないようなプレーをして、そして何より楽しそうで、好きな作品。

孤独な努力が日の目を見て、でももちろん壁にもぶつかって、それでもどこかユニークな才能があって、というのに弱いんだと思う。やっぱり挑戦者でありたい。気負っていない若者が成長していくのを見ることによってのみ得られる類のカタルシス

こういう作品では、気負う王者側の苦しみにも同じくらい感情移入する余地があって、往々にしてそっちの歴史や思いの方が深かったりして、心が揺さぶられる。ぽっと出の、新進気鋭の若手でいられる時間って一瞬しかない。ちょっと高いところまで来たかもなと思ってしまうと、ふと階段の下を振り返ると、凄い勢いで駆け上がってくる奴がいる。守りに入ってしまって、今までみたいに自由にプレーできない、成長できない。11話を見た後、卓球のことを思い出して、なかなか眠れなかった。

卓球は、気負わない頃が一番楽しかった。部活に入って、初めての公式戦は団体戦だった。確か秋の中1大会。一人小学校の頃から卓球をやってる奴がいて、この学年は結構強いんじゃないかみたいな雰囲気があったけど、ポンポンと勝ち進んで、市の大会の決勝までいった。俺も決勝で優勝チームのキャプテンになんか勝って、団体としても2-3で惜敗だった。うちの学校はいつも団体でいうと市でベスト8、16を行き来してるみたいな(そもそも市のチーム数が50ちょっととかだったかな?)感じで、マグレかもしれないけど、なんかこの学年凄いんじゃないか、みたいな雰囲気になった。

今になってみると、男子校で一学年220人とかいたら運動部強くないと困るわな、とは思う。中学でどの部も割と強くて高校で勝てなくなるのは、スポーツ推薦とかそういうのもあるけど、単純に人数の問題だろう。公立中学が二、三マージされて高校が出来るのに中高一貫の側は人数が変わらないから、その後勝てなくなるのもまた仕方ない。もちろんいくつかの学校には名物顧問みたいなのがいて強さにだいぶ関わってくるんだけど、団体戦は中学だと6人(シングルス4人、ダブルス1組)揃えないといけなくて、物量戦だよなあ。

まあそれはそれとして、部活の大会ってシステムは結構面白い。うちの場合は市の中学が4つのブロックに(抽選でなのか、ある程度前年の成績を均すようになのか)多分秋口に分けられて、そこから次の夏までが1シーズン、基本的に小学校自体にめっちゃやってて入学即戦力ってのでもない限り、1年秋〜3年夏の2シーズンしか戦えない。

  • 秋:1年生大会・新人戦。どっちも団体戦。1年生の場合はブロック上位2チームが全市決勝、新人戦(2年以下)の場合は4チームが全市決勝に進出。
  • 冬:学年別の個人戦。1年生・2年生ともにブロックのベスト8が全市決勝に進出。
  • 春:学年無差別。個人戦はブロックからで、ベスト16が全市決勝。団体戦はトーナメント一発勝負。
  • 夏:春と基本的に同じだけど、全中に繋がっている。団体で言うと市ベスト4が府大会に進出、府ベスト2が近畿大会に進出。

というのが中体連の公式戦の大まかな流れ。で中1の次の公式戦は冬の学年別大会だった。この時には割と部内の実力順が固まりつつあって、1位登録で試合に出た。この順位登録ってのが結構人によっちゃ鬼門で、確か各校8人までしか出場できない。学年別大会は学年ごとに8人だからまだ良いんだけど、無差別になると上下でも争いがあったりする。この登録順位を決めるために大会前に部内総当たりをするんだよな。うちの部は確か最初学年14人とかで、半分近くは大会に出られなかった。

確かそれで1年生大会の結果も加味されて、確か初めての個人戦、ブロック予選第2シードかなんかからのスタートだったと思うんだけど、準々決勝で同じ部の奴に今度は負けて、その後順位決定戦とかもやって5位だった。対外試合で個人戦ってのが初めてだったから、予選通ったことが嬉しくて、その頃はシードの概念もよく分かってなかったし、素直に喜んでたと思う。ブロック予選は同じ学校同士が準々決勝まで当たらないように(8人までいるのでそれ以上は無理)トーナメント表が調整されてるけど、確か全市決勝は各ブロックの順位によって完全に決まってたと思う。ブロック間の置換とかはランダムだったのかな。

で次の全市決勝は1回戦別ブロック4位の奴とあたってよくわからないけど勝って、その次にまた別のブロックの1位の選手に当たった。これがもう強くて、確か最終的に全中ベスト32とかまで行った人なんだけど、公式戦で11-0でセットを取られるという得難い体験をした。まあ手も足も出なくて、笑っちゃったなあ。1年最後の大会はベスト16で終了。

その後の中2の春季大会で飛躍した。大会前日にラケットが折れたんだったな。中1の頃から逆張りで、一人だけカットマンをやりたいって顧問に言って。始めた頃にちょうど女子卓球で王輝が日本一で、松下浩二もまだ有名だったから、普通にカットマンはある程度人気だったかもしれないけど。で台から下がって先輩のループドライブかなんかを底でカットしようとしたときに、床に思いっきりぶつけて、綺麗に取手が取れたんだったと思う。まあそれまでもよく低空でカットしすぎてぶつけてたから、ダメージが蓄積してたんでしょう。

大急ぎで学校の近くの用品店に行って、同じラケットを買ってもらった。こういうところで親がすぐ動いてくれて協力的だったことは、決して万人にとって自明なことではないんだろうな。ラバーをどうしたかは覚えてない。折れたラケットのやつを剥がして張り直したのかな? 新品にするとそのバウンドに馴染むまで時間がかかるからなあ。試合前日にラバー張り替える奴なんていないよ。

それで気負いとか全然なくて試合に出れただけでラッキーみたいな気持ちで出たもんだから、大会は大活躍だった。3年も一緒に出てるから勝ち進めるとは全然思ってなくて、というかそれが初めての学年混合の試合だったんだけど、くじ運も良かった。初戦で2セット先に取られて、やっぱラケット折れたしダメかあなんて思ってたら、体がまだ温まってなかっただけで、そっから3セット連取して、その後調子が上がって、16入りで当たった第8シードの選手にもなんか3-0で勝っちゃった。この時点で全市行きは確定してたんだけど、もう一個勝って、準々決勝で第1シードの選手に当たった。この人は市で優勝争いしてる人で、今でも本名で調べると大学に入ってからの全日本の試合動画とかが出てくる。

なんかめちゃくちゃ調子が良くて、俺が先に1セット取ったもんだからベンチ大騒ぎになって、まあその後普通に負けたんだけどそれでも善戦して、悔しさなんて微塵もなくてただただ楽しかった。冬の学年別大会でベスト8止まりだったのに、今度3年も入れてまたベスト8入ったもんだから、びっくりした。しかも準々決勝で有名人からセット奪うし。

2年の春季団体については全く記憶にない。どうだったんだろう。その頃はまだ3年の先輩が大勢辞める前で、団体はその人達が出てたのかな。少なくとも夏前には3年生がほとんど辞めちゃって、もしかしたら既にキャプテンを除いた先輩に負けなくなってた俺が重ねてクソ生意気だったのが作用していたかもしれない。先輩とはよくしょうもない言い合いをした。でもその前から不真面目な学年だったから、一人圧倒的に強いキャプテンや形式的なところで厳しい顧問とソリが合わなくてということもありうる。そのキャプテンにはマグレ以上の確率で勝てるようになることは結局なかった。

2年夏のブロック予選はシードからスタートしてしっかり通過を決めた。まあ春9位の選手に8入りで負けて、順位決定戦は全部勝って結局9位だったと思う。往々にして9位にはトーナメントの場所が悪かっただけで実力はもっと上って人が入ってくるから、残当。なんかテニスのトーナメントはシード順そのままではトーナメント表の骨組みが決まらずなんか変則的(ベイビーステップで気付いた)だけど、うちの中学卓球は少なくともシード順に勝ち上がれば常に対戦カードのシード和が2冪+1になるようなカノニカルな対戦表だった。

団体戦は8入りでラストで出て粒高対カットマンのチキンレースをフルセットで制してチームのベスト8達成に貢献した。準々決勝でベンチから応援している仕方が生意気だということで相手選手の不況を買ったらしいというのを後から聞いて微妙な気持ちになったが…。個人の全市決勝も、春に出来なかった1勝を挙げて、市ベスト32という最終成績だった。ベスト12までが府大会に行けて、来年は行けると良いな〜と。キャプテンは府大会を惜しくも逃して泣いていたと思う。次からは俺たちの戦いだ、というのと同時に、ここまで本気でやれるかと少し不安だった。

それぞれの大会に思い出があって、書いている側は楽しいのだが、勝った負けたと数字ばかり続いている。夏の大会でも初戦で2セット先取されてから逆転したり、そういう必死な記憶の積み重ねが去来する。それをざっくばらんに書こうとすると数字になってしまうのか。

しかし楽しいのも苦しいのもここからである。2年秋から始まる1年間が全てであった。先輩のいるシーズンは右も左もよくわからないまま通り過ぎていったが、次の1年では強豪校のレギュラーはもうお互いに知っていて、意識しあって、手に入れたメールや携帯で別ブロックの様子を訊きあったりして、そして全員もれなくガキだった。

先輩が引退し、新キャプテンになった。就任時に抱負を求められた。

「団体で近畿に行こう」