この前の記事(登山 - 小麦をこねる)の続き。

先輩が引退する少し前から、太秦にある(今はもうコーチ陣が移動して別の場所で別の名前のクラブチームをやっているのだが)卓球クラブに週一くらいで通っていた。記憶がかなり怪しいが、このクラブチームはエリートコースと一般コース、初心者コースに分かれていて、俺たちは一般コースに通っていた。俺「たち」と書いたのは、まずキャプテンが通っていたし、そしてそこから誘われる形で俺ともう一人、後から他にもうちの部から通い始める奴がいたからだ。

本当にそんな名前だったかは自信がないが、エリートコースは文字通り小学校低学年から卓球のエリート教育をしていて、大体の選手は中3時に(強ければ中2でも)近畿個人ベスト12の枠を突破し全中に出場、全国でも戦えるような選手に成長する。多分野球とかと同じで高校に上がるとそういう選手の練習拠点は高校メインになるので、クラブチームには中学生までしかいない。一番強い人で言うと全中ベスト8、その後ジュニアとかではなく全日本ダブルスベスト8まで上りつめた女子もいる。サインもらっとくんだったなあ。うちの市にはそういう超強豪クラブチームが二つあって、そういう「どうあがいても勝てない選手」が男子で言うと同学年と一学年下に合わせて4人いた。前の記事で奇跡的に1セット取ってベンチが沸きたった対戦相手というのもそういうクラブチームの人で、ただ上の学年だったので意識することはあれ以来なかった。

まあ物心ついた頃から卓球してる人たちとのレベルの差は絶望的で、彼らが超人的な練習をしているネット一枚隔てた横で我々「一般の部」は平凡な練習をしていた。俺にとってこの場所は何か新しい技術を習得するための場所というよりも、卓球がしたくて週5回の放課後の練習時間では物足りないが故の場所だった。うちの中学からは行くのに1時間弱くらいかかり、面倒になって次の週に振り替えたりしたこともあったが、基本的にはチームメイトのYと週一で通っていた。練習後に太秦の地下鉄駅の近くのパン屋でよくメロンパンを買っていたのが忘れられない。Yとは家が近く、帰りの地下鉄ではよく二人で爆睡していた。

このクラブには意外と他にも同じくらいの強さの同学年が何人かいたりして、仲良くなった奴もいた。練習時間は短かったが、同じ中学以外の選手と戦う良い機会であった。うちの中学から以外に、M中学というところからも学年から二人練習に顔を出していて、確かその頃「キャプテンになったから」というよく分からない理由で親を説き伏せて携帯を手に入れた俺は、彼らとよく連絡を取っていた。彼らとはその前から多分練習試合か何かで知り合っていたように思う。

卓球の練習試合というのは、もちろん二校だけでやることもあったが、多くは顧問の繋がりなどによって会場が許せば四校やそれ以上で集まってやることが多く、私学故に広い体育館を持っていたうちの中学はよく会場を貸すことでその輪に入れてもらっていたと思う。思えばかなり強い学校とも練習試合を組んでもらうこともあって、その頃顧問に十分感謝できていたかどうか分からない。よくあるのは、参加校全体でリーグ戦を組み、まずはペアになった参加校同士で団体戦、次に時間と体力が余っていれば希望者が空いている台で相手校の誰かに申し込んで試合をする、というものだ。団体戦で試合を見れば相手校のどの選手が強いか分かるので、そういう人に申し込んで、その後試合が盛り上がったりすれば仲良くなっていた。良い試合ができればお互いの名前はすぐ覚えるし、仲良くなって次に大会で一緒に昼飯を食ったりする。

M中の二人とは多分そんな中で知り合った。もしかしたらクラブチームが先だったかもしれないし、クラブチームに彼らが来始めたのは中3に入ってからだったかもしれないが、少なくとも中2秋、新チーム発足の時点で彼らとは知り合いであった。M中には同じ学年の部員が三人いて、彼らは皆かなり強かった。なのでM中三人衆と呼ぶべきである。彼ら三人とは全員と仲良くしていたが、クラブチームに顔を出していたのはそのうち二人だけだったと思う。

うちの中学は中1大会で準優勝したと言ったがその頃もある程度充実しており、特に中2の頃から全市に個人で進出していた俺とYよりも明確に強い選手は、中3たちが引退した今、市に10人といなかった。もう一人、中1大会で大活躍した経験者がいたが、彼はその頃少し伸び悩んでいた。M中三人衆は俺やYなら競りつつも勝てるが、他の部員だと厳しい、という感じのレベルだった。しかしM中は部員が少なく、三人衆以外は全て取れると踏んでいたので、俺かYが三人衆から1勝を取ればそれだけで良く、なので団体戦において脅威にはならないというのがその頃の俺の観察だった。

ここでうちの公式戦のスケジュールを復習しておく。

  • 秋:1年生大会・新人戦。どっちも団体戦。1年生の場合はブロック上位2チームが全市決勝、新人戦(2年以下)の場合は4チームが全市決勝に進出。

  • 冬:学年別の個人戦。1年生・2年生ともにブロックのベスト8が全市決勝に進出。

  • 春:学年無差別。個人戦はブロックからで、ベスト16が全市決勝。団体戦はトーナメント一発勝負。

  • 夏:春と基本的に同じだけど、全中に繋がっている。団体で言うと市ベスト4が府大会に進出、府ベスト2が近畿大会に進出。

新チーム発足最初の大会は秋の新人戦、まずはブロック予選からである。抽選が行われ、今シーズンを共に戦うブロックが決定された。なんの因果か団体のブロック予選の初戦はM中だった。M中に負けることはないと思っていたが、三人衆はかなり強いので、初戦で戦いたい相手では全くなかった。

さて、新人戦でのシードは恐らく前年の1年生大会の結果に基づいて決定されていたように思う。これは単なる推測だが、全市決勝の結果ではなく、前年の1年生大会のブロック予選の1位と2位が均等に割り振られるという条件下でくじ引きが行われていたのではないだろうか。うちのチームは2位シードか何かだったように思う。そして、ここは記憶が曖昧なのだが、ブロック内でまた4つのリーグ戦が行われ、それぞれの1位がトーナメントをして順位を決めて全市に臨むという形式だったように思う。さて、1年生大会に部員が足りず出場していなかったこのM中は、妥当なシード権を勝ち取ることができず、この小ブロックに入ってきた。

卓球の団体戦は、中学では6人対6人の形式である。トップ、セカンド、ダブルス、フォース、ラストの5試合を行い、3勝以上した方の勝ちである。真ん中のダブルス以外は全て一対一で、トップとセカンドに強い選手を出して先に白星を稼ぐのが普通である。M中の戦力は練習試合である程度知っていたので(知らない部員が二人増えていたのだが)、いい試合にはなるだろうが勝てると踏んで、一応俺とYを前後半にバラけさせて、俺がセカンド、Yがフォースに入った。トップは小学校の時に少し卓球をかじっていたNである。基本的にM中は俺とYに三人衆を出来るだけ当てたくないから変則的なオーダーを組んでくるだろうと思っていたが、こちらとしてはまあ適当に組めば運が良ければ二人とも当たれるし、まあ全体としては負けることはないだろうし、それよりもシングルスで三人衆と当たれたら良い試合ができるだろうな、楽しみだなという気持ちでいた。

やけにニコニコした向こうのキャプテンと書いたばかりのオーダー用紙を交換し、手にした紙を一目見て愕然とする。

向こうのキャプテンがダブルスに入っていた。

なるほど、俺とYがダブルに出てくることはない、いや、理論上はありうるのだが普通そんなことはしない。ならばダブルスに三人衆を投入することで確実に一本取れる。他の三人衆はフォース、ラストだった。徹底的に変則的なオーダーで、そして勝ちに来ていることがよく伝わった。ただ、俺とYの前後半をバラけさせたのは不幸中の幸いだった。Yが負けなければ大丈夫だ。

しかしオーダーの時点で各試合の勝ち負けがほぼハッキリしており、トップのNと俺、そしてYは絶対に負けられなくなってしまった。いつの間にか精神的な状況が逆転していないか?

結果、Nが負けた。プレッシャーもあったのだろう。対戦相手が思ったより成長していて気圧されたままやられたようにも見えた。トップとセカンドは同時進行で、俺は自分の試合のことなど上の空で、ほとんどNの試合を見ながらプレイしていた。自分に捨て駒をうまく当てられてしまったことに苛立ち、初心者相手にやるように何の回転もかけないサーブを出し、相手が失敗するまで打ち頃のボールを送り続け、手を抜いた無気力な試合をして勝った。この試合のことは深く反省している。しかし、その日の俺にとっては、三人衆との戦いを楽しみにしていたのに、ダブルスに主力をずらしてまで捨て駒をぶつけてくることの方がスポーツマンシップに欠ける行為だと思えたのだ。後日、三人衆から「うちの顧問がお前の試合態度にガチギレしてたぞ」と言われた。団体戦のことばかり気になって、対戦相手へのリスペクトがなかった。後悔である。

さて、勝って一足先にベンチに戻り、Nの応援に移る。確かちょうど1セット取り返して1-2くらいだったと思う。結局、次のセットは取れなかった。並行して始まったタブルスも、この日のために練習してきたのであろう、キャプテンの個人能力だけで立ち回るという感じではなく、連携が取れていた。うちのダブルスも善戦したが、しかしやはり最後はM中キャプテンのドライブが返せない。これも負けた。

多分ダブルスが終わる前にフォースのYと三人衆が一人との試合が始まり、これも良い試合であったが、3-1でYが勝利した。ラストは三人衆の最後の一人にあっさりと負けた。番狂わせは起きなかった。いや、俺たちの敗北という意味で、団体戦としては番狂わせであったのだと思う。1年生大会で市準優勝したチームは、新人戦でベスト16にも残れなかった。次の春季総体は一発トーナメントである。ここでシードが貰えないと、どこに入れられるか分からない。近畿大会出場という目標に、暗雲が立ち込めていた。

多分、こうして負けたあとから、俺は焦り始めた。今のまま顧問が決めた練習メニューを漫然とやっていて良いのだろうか。ダブルスをもっと強化しないといけないのではないだろうか。この頃は部活しか頭になかったので、結構真剣に考えていたと思う。市の主要チームのレギュラーや戦型をルーズリーフにリストアップし、どういうオーダーなら勝てるか、どういう対策をすべきか、というシミュレーションをしょっちゅうやっていた。何か生き急いだ中2は、顧問に「この練習メニューじゃチームが強くなれません、僕に決めさせてください」と言った。明らかにムッとした顔の顧問に「そんな勝手なことを言われても困る。せめて一週間分毎日の練習メニューを考えてきてくれないと」と言われたが、これは予想の範囲内であった。「もう印刷してきています。新チームはこれでやります」

顧問は明らかにつまらなさそうな顔をしていたが、引くつもりはなかった。結果、俺の組んだメニューで翌日から練習をすることになった。個人選手としても発展途上なのにチームの運営を勝手に背負い込んだこの選択は、果たして吉と出るのか。