2021

ここ数日、アホみたいな生活リズムが定着しかかっていた。これではいけないと雀の涙ほどの陽光にすがって、ブラインドを上げて午前中に起きてみた。眠気にしたがって健全な時間に気を失うと、4時間くらいで目覚めてしまった。慣れたものである。

もう一度寝ようと目を瞑って体を左に向ける。右手の甲がひんやりとした無機質な壁に触れそうになる。寮のベッドは寝心地が悪い。根津にいた頃は完全だった。寝具ではなく街がそうだっただけかもしれない。

冴えないが目覚めてしまった頭が勝手に回る。そうか、と思う。2021年はもうすぐ終わる。この区切りが自分にとって重大なのかはよくわからないが、終わるんだな、という高揚感が湧き上がってくる。去りゆく年のはじめの方を思い出して、むしろまだ終わってなかったのか、と何故か安堵を覚える。あのロックダウンからまだ一年経っていない。

日本とイギリスでは年度始まりが違う。うちの大学では10月からである。このちょうど半年のずれは、西暦の境目とあいまって、年単位の時差ボケを引き起こす。コロナで引きこもりがちだったから、またイギリスでは太陽がサボっているから、時差ボケはまだあまり治っていない。刺激がないと治らないのである。日本に帰国してアパホテルに隔離されている間、生活リズムはずっとイギリス時間だった。スピードクライミングを観戦しながら寝落ちして、起きたらリードの終盤だった。

なんで留学なんかしたんだろうとずっと思っていた。理由は分かっている。今まで自分の決定には、あまり意思が介在していなかった。最適化問題を解くまえに、制約に疑問を持つ方がいい。でも見ない方が楽だからね。

8月と9月は日本にいた。これも時差ボケを助長させる。就職していったやつは酒と投資の話しかしない。そんなもんか、とまた一人俺が死ぬ。もう東京には居場所はない。早く俺もここで働きたい。

卓球部に入った。英語と数学以外でコミュニケーションがとれるのはいい。多分、学部の頃より真剣に練習している。ちゃんとイングランド中部二部リーグとかで毎週公式戦があるからかな。こういうのがこの歳になってまたやれるとは思ってなかった。首都大戦はあんまり行けなかったし。キャプテンを見てると、俺もシャキッとしないとなと思わされる。I'm not sure とか言ってないで。

研究はどうだろう。なんだかんだ渡航してから少しの間は結果が出る。去年みたいにこの結果を少しずつまとめるのだろうか。学部を卒業してから、誰も読まない論文をコンスタントに書いている。この勤勉さは必要か? 考えるのはもうだいぶ前にやめた。結局、自分が説得できればそれでいい。そこに論はないが、俺の中で答えは出ている。

時間がある。20代の残り時間は少ないのに、留学が終わるまでの時間はたんとある。数少ない新生活の恩恵は、新しいことを始めやすくしてくれたことである。人と会う機会が減って、自分を見つめる時間が増えた。この国にいるとどうせ何もできないので、何かしようということになってくる。かつてTwitterとアニメで単調に終わっていたおうち時間は、今や挑戦の場である。これは多分、進路を白紙に戻したからだと思う。やりたいことを見つけるのは難しいが、思いついたことを全部やればいい。得意なことばかりして生きてきた人間には、また新鮮な時間である。

とは言っても、秋からは人と関わることも増えた。1年目にまともに人と会い始めたのは5月末からで、一番仲良くなった人も日本に帰ってしまった。イギリスの修士は1年で関わりのある層としてはそこがボリュームゾーンなので、そもそも入れ替わりが激しい。その中でもロックダウンのあった去年度は難しい年だった。それに比べて、今年度は院生の集まりだったりポスドクの人達が主催している集まりだったり年度始めから色々ある。

12月、ターム期間が過ぎてからも、数学科や卓球部の人々とのイベントもあれば、日本人たちとの集まりもあった。クリスマスパーティーとかいくつかは柄にもなく主催したので、反動で引きこもることに幸せを感じたりもする。日本人というだけの集まりには大学の時みたいに気が合う人を見つけるのは難しい。ホモソーシャルのぬるま湯が恋しいが、この全然バックグラウンドの違う人たちが入り混じるカオスもまた得難い経験かもしれない。一つ学んだのは、ひねくれた人間は愛がないと許せないということである。気をつけなければ。

明日も日本人の家で紅白を見る。JSTVってのに契約してる人がいて、リアルタイムと別で再放送をヨーロッパ時間に合わせてやってくれるらしい。日本にはなかなか帰れないが、こっちでの年越しも悪くない。やっぱり去年が異常だったのだ。つい去年と言ってしまうが、今年の前半である。

長い一年だった。本当に。

この一年を乗り越えられてよかった。本当に。


それではみなさん、よいお年を。