1年目

飛行機の中である。さっきまで浅野いにおの『デデデデ』を読んでいた。途中、なんだか涙が止まらなかった。

ここ何十時間かわからないがずっと色んな椅子で寝たり起きたりを繰り返して今はあまり眠くない。やっぱり旅の最後は感想文を書くと相場が決まっている。

パソコンを取り出すのが億劫なのでiPadのメモアプリを開くと、2019年4月のウクライナでの日記と、去年2月のオーストラリア旅行の麻雀の勝ち負けの記録だけがあった。海外に行った時しかこういう機能は使わないらしい。そうだ、あれが私にとって最後のオンサイトの国際イベントだった。再びスタッフとして参加する予定だった翌年の大会からは、世の中はずっとオンラインである。オーストラリア旅行はまだ記憶に新しい。高校同期の卒業旅行だったが、院試のオンライン面接が入って急遽日程をずらして後から参加した。出る時にはあまり大事ではなかったが、旅行先で段々とダイヤモンドプリンセス号のニュースが取り沙汰され、帰国した頃には既に空港が異様な雰囲気に包まれていた。あれから1年半、世界は変わってしまったままである。

そういう意味で、久しぶりの帰国である。B2くらいからはなんだかんだ毎年海外に行っていたから、かなりブランクを感じる。帰国ブランクが祟って一本乗り損ねたのかもしれない。

同じ時間を過ごしてもその体感は歳を重ねるごとに短くなっていくというが、この一年は大学に入ってからでも指折りの長さだったように思う。まあ初めての経験ばかりだったという話で、そして一番苦しい一年だった。留学2割、コロナ8割くらいだろうか。

秋に渡航してから、2020年の間は非常に順調だったように思う。あるいは熱に浮かされていたとも言える。特に11月ロックダウンが再開してからはずっと数学のことを考えていて、かなり早い段階で面白い結果が次々と得られた。12月にはそれと並行して絵の練習も初めて、生産性という意味では今考えると信じられない勢いであった。そして案の定、1月に精神が壊れる。

メンタルの不調という点で言うと、デフォルトで鬱々としているのを責めないことにすれば、大きく沈んで一週間単位で何も手につかなくなったのは1月、3月、5月の3回である。パターンとしては非常にわかりやすく、1月と3月は連日深夜まで論文を書き続けて終わった少し後にダメになり、5月は数日間ずっと考えていた問題が解けた直後である。こうして書くと燃え尽きっぽいが、どれもその成果に対するフィードバックへの深い失望から来るものだったと思う。別に教員に限らないだろうが、成果物へのフィードバックというのは一言「いいね!」と言った後で修正の方向性などが長々と返ってくる。科学の基本はクリティカル・シンキングである。ロックダウン下で絞り出した成果があっさりと流されていくように思えるのはやり場のない苦しさがある。

世の中そんなもんである。現場で働く人間を労う上司、あるいは仲の良い友達同士であっても、褒め言葉なんてものは滅多にないしあっても抽象的である。ディティールに対してここが良いね!と言って回るのは重要だが難しい。比して、具体的な指摘をするのは簡単であるがされて気持ちの良いものではない。そういう構造的な上司への鬱憤は同期や部下同士の軽口で解消され、会社は不健全ながらも回っていく。そういうセーフティネットはコロナによって失われ、溜め込んでしまう人は増えているだろう。

一般化する必要もなく、私が単に承認が足りない生活を過ごしていたということだ。状況は少しずつであるが改善している。一番新しい原稿を書き上げた後は別に長い燃え尽きはなかったし、やっぱりフラットメイトの勧め通りオフィスに毎日行き始めたのが良かったのだろう。単に日常会話が増えるだけで良い。たまには教員とホワイトボードを囲んで議論できれば良い。そして、体は動かした方が良い。

精神の浮き沈みが激しかった今年序盤であるが、1月と3月大体半分以上手が止まっていたように思う。ドラマを見て、アニメを見て、小説を読み、ラノベを読み、時々消費に飽きて文章を書く。感染爆発に悲壮感漂うイギリスの年初はそんな感じだった。絵を描くのは結構エネルギーがいるので、毎日やっていたのが途切れてからはむしろ忌避していた。最近またふとやる気になったりするので、良い傾向である。

5月末あたりからは毎日オフィスに行くようになった。これは非常に精神に良く作用したのだが、また別種の寂しさが加速された。平日オフィスから帰ってくると、もう日本人は寝ている。たまにdiscordを眺めても、そんな時間に起きているのはパソコンをカタカタしている謎の集団くらいである。もちろん、現地での交流もあるにはあるが、ご時世からしてそんな毎日外で飲み会みたいな雰囲気ではない。出鼻を挫かれて友達作りに失敗したことは素直に認めよう。オフィスに行き始めてから、あるいはワクチンによる第一谷のあたりからは交流が増えていったので、年度末に近くすぐに人が散り散りになってしまったことを考えれば、次の秋からはもう少し楽しく過ごせるかもしれない。

ノリで留学を決めた頃には全く覚悟できていなかった暴れ方をしたのでこの一年というと自分の精神状態ばかり思い浮かぶが、もう少し留学記っぽいことも書くべきだろう。そういえば奨学金向けにも文章を書かないといけないんだった。こんな内向的な文章しか出てこないようではよろしくない。重複を恐れずに、もう少しそれっぽく書いてみる。

入居初日のことはよく覚えている。イギリスは、あるいは少なくともオックスフォードは、実際には言われているほど天気が悪いわけではなく、雨の時も傘をさす必要のない霧雨が主流である。しかし、私が来たばかりの10月頭は非常に天気が悪く連日土砂降りであり、イギリスの天気が悪いというのはこういうことなのか勘違いして困り果てていた覚えがある。

私は当初の希望が外れ、カレッジから歩いて20分くらいの距離のオフサイトの寮に住むことになっていた。入居当日、カレッジで鍵を含め諸々の書類を受け取ったあと、土砂降りだったのでタクシーを呼んでもらって寮に着いたのだが、タクシーが去った後、寮の門が私の学生証では開かないということに気付いた。多分正確にはどうやって開けるのかもわからず、学生証を使ったら開きそうだけど何を試してもダメだという感じで途方に暮れていたと思う。カレッジに連絡するために、一応買っておいたプリペイドSIMの電話を試してみたがどういうわけか電話がかからず、結局たまたま通りかかった隣の建物の人が学生証でゲートを開けてくれた。どうやら私の学生証がまだアクティベートされていなかったようである。この時点で既に全てがびしょ濡れで大変先が思いやられていた。

さて、入れたはいいが、なんとかしてカレッジに連絡してシステムを更新してもらわないと家から出れても帰ってくることができない。メールも送ってみたが暫く反応がないので、結局雨の中カレッジまで行くことにした。今度は身軽なので折り畳みをさしてカレッジまで歩いたが、傘は特に何の役割も果たさず、初めて歩く道をGoogleに尋ねながら既にこの時点で半泣きであった。カレッジに着くと「雨の中歩いてきたのか!寮のインターホンのとこからカレッジに直接通話繋がってそっから遠隔でゲート開けれるのに!」みたいな反応をされた。いや、知らんが…。そんな面倒な仕様にする前にアクティベートを済ませてから配布してくれ。処理が終わるまで、日本人が物珍しいということで、ブラジル出身のスタッフが延々と「オマエハモウシンデイル」とか日本アニメのセリフをずっと並べ立てていた。意味は分かっていないと言っていた気がする。というのが初日であった。

10月の間はロックダウンもなく6人までなら食事などにも行けて、何回かカレッジや奨学金のグループで集まった。IELTS対策を経て学部時代よりは英語力は向上していたが、やはりネイティブ同士がパブで喋っているのは本当に聞き取れなかった。別に今でも全て聞き取れる訳ではないが、この頃は私が話を振られたタイミング以外は会話に何もついていけず、毎回居た堪れなくなっていた。その意味で、コロナに出鼻を挫かれたとはいえ、他の学生と、特にネイティブと仲良くなる程会話ができる素地がそもそも最初の月にはなかったように思う。それでも、寮で同じ階に住んでキッチンをシェアしている人達とは必然的に話す機会が増え、半強制的に仲良くなることができた。一対一で喋る場を何回も作れれば、拙い英語でも慣れてもらえるものである。

やっと留学生活に慣れ初めていた頃に、コロナの状況が悪化して11月頭にロックダウンになった。おそらくこのタイミングの規制強化はロックダウンとは呼ばれていないが、原則家を出るな、外食は持ち帰りのみということになり、要はロックダウンである。勘弁してもらいたいものである。この時点でフラットメイト(寮の同じ階の人たち)以外とは関わりが実質的に絶たれ、まあ研究しかやることがなくなる。11月は本当に数学に没頭しており、毎週新しい定理を証明していた。忘れかけていたがこの頃TAもやり、学生の筆記体を解読したりオンラインで画面共有して問題解説したりもしていた。TA自体は嫌いではない。特に研究が煮詰まってネットサーフィンに終始している時期であれば、こういう教育活動に救われる面があると思う。

色々忘れているがカレンダーを見るといくつか思い出してきた。12月にはbroadeningというので専門外の分野の修士向け授業に関連して発展的なレポートを書くというのを二つやった。片方は分数階ソボレフ空間とか軽いものを書いたが、もう一つはリー群・リー環について(完全に代数的な)Adoの定理を認めた上でリーの第三定理などをほぼself-containedにまとめるものを書いて、これは結構大変だった。一週間くらいかかった気がする。

この時期に別で突然やらされていたこととして2月の国際学会のオーガナイザーがあり、役目を押し付けられた学生3人で何回かミーティングをしていた。リモートで何回も英語を聞き直しまくってこれもまた居心地が悪かった。出来るだけコミュニケーションの必要ないホームページ作りやパンフレット作成を引き受けた。まあどう立ち振る舞うべきか難しいところである。

12月も中頃になるとイギリス人はみんな実家に帰り、寮に帰省失敗したギリシャ人と2人でいる期間が数週間あったと思う。もう少し仲良くすればよかったのだが、私はクリスマスで休みをとった彼女が連日部屋で歌っているのにイライラしていた。まあ人によるだろうが私は人が歌ってるのが延々と聞こえてくるのは苦手である。それが理由でこの頃にノイキャンの付いたAirPods Proを購入したのだったと思う。別に揉めた訳ではないが、夏に彼女が寮を引き払う際には欧米式のハグで別れを惜しんだし、和解済みである(?)

それにしてもクリスマスはヨーロッパではあまりにも重大なイベントであるようである。イギリス政府はクリスマスは仕方ないということで規制を全国的に緩和し、その後の年始の感染爆発に奇麗にバトンを繋いだ。彼らはみな帰省し、寮に残っていたのはアジア人が大勢を占めていたと思う。

1月から3月にかけては、あまり語ることがない。帰省したイギリス人たちはなかなか戻ってこなかった。確かresearch student以外はオックスフォードに戻るなみたいなお達しが出ていたように思う。感染者数は鰻登りで一瞬解禁された外食もまた禁止され、それはもう大変な悲壮感だった。この頃、公園でソーシャルディスタンスを保ちながら少数の日本人と何回か会っていたかもしれない。年変わる前かも。

さて2月はまたTAやら学会発表やらで忙しくしていて、研究成果もさらに発展しつつあったのでよかったが、最初の方に書いたように、3月に頑張りすぎてダメになるタイミングが訪れる。ここが一番長く、かなり手が止まって呆けていた時期だったように思う。仕方がないから読書やら何やらしていたら、暗い本ばっかり読んでさらにダメになったりもしていた。Lost in Mathは読むタイミング間違えたかなあ。次の研究のアイディアは比較的早い段階からあったのだがなかなか手が動かず、指導教員の謎のこだわりに振り回されたりして(後からこの路線に固執しすぎたすまんみたいなことを言われた)小ネタはどんどん増えていくが執筆がいよいよ億劫になってきていた。そして5月に決定的に沈んでゆくのである。言うまでもないがここまでずっとロックダウンである。

このタイミングでデータサイエンティスト達に電話で人生相談したり指導教員にポエムを送りつけたり色々模索していたが、戻ってきていたイギリス人のフラットメイトにオフィスに行くことを示唆され、ここから人生が動き始める。7月にはみんな学期終わりでいなくなったりしていて、実質的にはまともな留学生活が遅れたのは前年10月と6月だけだった。10月に比べれば英語への憎しみはともかく抵抗はある程度薄れていて、スウェーデン人の先輩と毎日のようにランチをしていたし、めっちゃ心配性なインド人の女の子も時々参加して心配エピソードを色々聞いていた。オフィスに来ていたのはそんな大勢ではなかったが、6月は非常に充実していた。ロックダウン緩和に伴う初めての日本人会の大規模イベントもあったりと一気に知り合いが増えたし、かなり仲良くなった人もいる。ここからはなかなか楽しかったと思う。7月にみんな寮からいなくなって滞在を後悔したりもしたが、論文もまた仕上がったし順調である。まあアカデミアに残るかはともかく、博士はやり切れそうだという心持ちである。

こう書いてみるとまともに留学生活をエンジョイできていたのは6月だけだったんだなという驚きである。まあずっとコロナだったし仕方ない。来年は勘弁してくれ〜

時系列で書くと緩やかな変化なのであまり現れてこなかったが、この国の日照時間は特筆すべきである。オックスフォードの緯度は北緯51度である。中学受験知識としてイタリアのかかとと秋田の男鹿半島が北緯40度なので、ヨーロッパは全体として直感よりも(?)高いところにある。この結果、冬はもう15時半とかにあたりが真っ暗だし、夏はサマータイムもあって夜10時近くでもまだ明るい。イギリスの冬、ロックダウン、みんな帰省して閑散とした寮、これは鬱病の繁殖しやすい環境である。逆に、夏はいつまでも明るくてそれでいて暑すぎず快適である。毎年一週間くらいだけ30℃を超えるみたいだが、それを除けば素晴らしい。その週は、この国に冷房があまりないのもあり、特にオフィスでは日照りも良くて死にかけていた。

さあつらつらと書いてきたがそろそろ眠くなってきた。まだフライトが3時間残っているので、再びの仮眠にでも挑戦してみようか。フライトを逃したバタバタで精神が侵されていたが、振り返ると尻上がりな感じで未来に希望の持てるアカデミックイヤーの締まり方である。この夏日本をエンジョイして、そしてまた去年とは違ったイギリスに戻ってこられることを祈るばかりである。